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私が持つチャーのイメージに一番近い作品がGIRLでした。同年代の原田真二さんの曲ではSWEETBABYが一番好き。でも素晴らしい曲のわりには2曲とも以外と売れませんでした。不思議です。本当にかっこよかったです。懐かしいです。
当時~Char大好きでした🎸💖レコード買いあさってました!!Girl素敵です✨
懐かしい.....78年の秋 エレキギター購入の為に午前三時に起きて新聞配達をしていた時にこの曲を歌いながら自転車のペダルを漕いでいた13歳。DrはジョニーでBassはマーちゃんかな。
この曲、コピーに簡単そうに思うけど難しいんですよね〜😥1978年の10月やったか❓夜のヒットスタジオ出演時のギターソロが圧巻です😀難しいのに簡単にギター弾くCharさん😚😁😄未だにChar熱病から覚めません😀
ヒゲはやした時ですね。ドラマかなんかのためにすぐにやめちゃった髭。1978の秋にピアノのダニーさんが急にいなくなってチャーもぎんざナウに出なくなってしまって相棒の桂枝八師匠も見れなくなって私ら高校生はさみしかった。代わりのためかバウワウ恭司がジェットジャイブ聴かせてくれたけど、好みのせいでチャーの逆光線のほうが好きなので先にコピーしたせいか非常にむずかしかった。 切りそうで切らない8分音符と休符のトリルがなんだか1970のクラプトンのアルバムレイラの中で良く聴けるソロに似てるって今更ながら聴き入りました。同じころ、柳ジョージさんが雨に泣いてるでフェンダーシングルミックスのいい音を聴かせてくれましたが、チャーのほうがビヨーンって滑らかでいろっぽいような気がします。そのときテレビの前の18だった子供が、62の年寄りになる歳月を感じさせないグレートチャーの最高の演奏だとおもってます。
girl大好き!!!これをリアルタイムで味わえる時代に生まれたかった、、、😭😭😭
ムスタングのンチャの音が良いし、懐かしいなあ😊
なんなく、なんでもうたいこなして、melodyの独創性ーピカイチ🌟🆙🆙
昔と変わらないスリム感ーイカシテル&うたいぶり、ラフでいて、あまりにも🆒🔝🔥
チャー様には黒歴史でも、私には青春
貴重な映像ありがとうございます😃
チャーではこの曲が一番!。レアなアジャパーな動画をUPありがとう!。
私も一番好きです。charが自分の本音を歌っている様な歌詞。ギターものすごく上手いですよね!
最高にカッコいい歌詞と曲でチャーのなかでベストだと思う。
1955年6月16日生まれ 本名:竹中 尚人(たけなか ひさと)東京都品川区戸越出身 1974年 あおい輝彦 - 君がいても Guitar By Char , 1974年 Char参加音源 まりちゃんズ『尾崎家の祖母(おざきんちのばばあ)』、1975年 N.S.P. - ライブ 「僕らはごきげん」1976年6月、キャニオン・レコード / SEE SAWからシングル「NAVY BLUE」でソロ・デビュー、9月にアルバム『Char』を発表(代表曲『Smoky』収録)。1977年6月リリース「気絶するほど悩ましい」は、歌謡ロック路線となりアイドル系ギタリスト&ボーカリストとして人気を博す。1978年には「逆光線」「闘牛士」とヒットを飛ばし、同時期に登場した世良公則&ツイスト、原田真二と共に『ロック御三家』と呼ばれた。1978年7月に発表された自身3枚目のアルバム『Thrill』にてゴダイゴと共に楽曲の半分にて共演。リリース後に行われたゴダイゴとの共演LIVEで、男性のみが入場可能だった『男だけのコンサート』を行った。1978年秋発売の「BLUE CHRISTMAS」は東宝映画『ブルークリスマス』劇中歌となったが、6thシングルとしての日本語歌詞バージョンとは別にChar自身が歌う英語歌詞バージョン(こちらはBGM数曲を併せたサウンドトラックとして構成)も同時発売される異色の体制となった。作曲は同映画の音楽監督である佐藤勝。映画の中では英国人バンドが歌う曲として扱われている。その後のステージ・デビュー(芸術祭イベント)の模様はTV収録されたが、その放映前、自身に「ある事件(覚醒剤取締法違反)」の謂れのない嫌疑がかけられたため、活動休止を余儀なくされ、オンエアされることなく御蔵入りとなった。1976年 Char - Charレコ-ディングメンバー、*Guitar, Vocals - Char *Bass - George Mastich *Drums, Backing Vocals - Robert Bill *Keyboards - Jerry Margosian *Keyboards, Backing Vocals - 佐藤準、1977年 Char - Have A Wineレコ-ディングメンバー、*Guitar, Vocals - Char *Bass - George Nishizawa *Drums, Backing Vocals - Robert Bill *Keyboards, Backing Vocals - 佐藤準 この時期のTV出演、コンサートツアーメンバーにはDr.リューベン辻野(後にリューベン&カンパニー結成) Ba.ジョン山崎等が参加していた。
超かっこいい〜!(≧∇≦)
年代はすいません。分からないですがヤングオーオーですね。貴重な映像のU,感謝致します。ありがとうございます。当時、このCAPにやられたクチです。(笑)
年代は1978の暮あたりです。ヤングオーオーなつかしいです。でっかいカップヌードルスタンダードが天井から下がってましたね。わたしら北関東の子供には関西語がほとんど理解でけしまへんでした。とにかく速くて聞き取れない。また、東京人のうちのおふくろの小言も、わたしら息子らは田舎もんなので全然聞き取れなかったのに似てます。
@@saikousikikan ご返信ありがとうございます😊確かに今では関西弁が全国に轟き渡っていますが…笑笑💦当時は全然,関東のヒトには受け容れられていなかったですよね。私が東京都内のある、中小企業で働いた事があるんですが、そこの社長の奥様が東北の人で、私の言葉が西なのですが…「私、関西弁‼️大っ嫌いなの‼️💢」って虐められた事ありました。随分だなぁ…と悲しくなりましたが…💦😂そんな嫌悪感を出されている方も居たと思います。狭い日本ですが、やはり、言葉が違うと中々、融合出来なかったりするのが現実ですよね。古い話書いてすいませんでした。💦💦笑笑🙇♀️🙇♀️
@@jiroshockingpinkさまへ: わたくしは大人になってから文字で理解しましたね。デキヒンとデケヘンの音便とか。あと、買って上げるよの「こうたるわー」とか、早く乗れ、の「はよのりのりい」とか。とにかく速いのでいまでもヒアリングはダメですねえ。 わたしら北方語の田舎もんはただニコニコだけしてれば大阪や京都の方がたくさんしゃべってくれるのでとても助かります。 商用のみならず技術・教育・思想すべてにわたって日本では関西語が勝ちですね。 むかし、父の会社では東京人の母が一人で全部電話をとってました。言語は技術ですね。
@@saikousikikan さまへご丁寧にありがとうございます😊🙇♀️確かに私は西の人間で、東京で生活した何年かが人生であるのですが、その何年かで初めて、東京よりも北の方々とお会いできたのですが、正直、東北弁は全然聞き取れませんです。ネイティブな青森の方同志の会話とか…マジ分かりません💦笑同じ感じなのでしょうね…。東北の方々や北海道の方々も私と話す時は標準語を使って下さるから会話できてたんだなぁ…と。😊国土は小さな日本ですが不思議です。本当に地球は凄いですね。お優しいご丁寧なお返事ありがとうございました。愚痴のような昔話書いてしまい、すみませんでした。笑笑🙇♀️🙇♀️👍コレからも宜しくお願い致します。😊😊🙇♀️👍
@@jiroshockingpink さま:いやあ、まったくですね。明治以後の標準語は助かります。もとが東京語なのはくやしいですけど。 我が国は島山国でリアス海岸まである国土なので、標準語がないとどうにもならないですね。100年ほっといたらウクライナとロシヤや、イングランドとスコットランドの言葉くらい違ってしまうらしいです。
1978年 秋頃 ですね。 jiroshockingpink さんが 仰られた通り young Oh! Oh! での映像です♪& Godiego 以降の演奏ですね。バックメンバーが 不明ですが、同時期 他所では藤井さん、南沢さんがバックを務められていた時期です。(でも、このDr.の方は藤井さんっぽく無い感じがしませんか?)
ムスタング良い音を出してます。近年はあんまし聴けませんが…💧
「捕まる直前」とは???あれは週刊誌の作り話で、作らせたのはゲーノー界のエライさんでしょ。初武道館でキレたのが原因らしいけれど、当日朝まで映画撮影の炎上シーンで煙にまみれて働かされてたら、そりゃ3年間溜まったストレスが暴発するわなぁ。
コメント有り難う御座います。78年09月10日のヤングオーオーでしたね。とにかく、メンバー不明なのがちょいと気になります。
初めて買ったギターは、ムスタングでした。もちろんcharさんの影響です。
永遠ギタリスト不滅です。
実家の整理してたらこの曲のシングルでてきました
ベースはマーちゃんじゃないですね、ピック弾きではなく指で弾いています。
最高!
ファッションが今風。
ギターに貼ってあるのはF@CKと書かれたダイモかなw
CHARの日比谷(ジョニー・ルイス&)のデビューの細かいレビューで書いてますが・・麻薬等は一切やってません。この、ありもない記事が、よりチャーの人気を落としていたと思います。
事実か否かは知らんけど、当時多忙の極みだったCharはマスコミの目に余る取材にブチギレしたらしい で、こらしめてやれって事で虚偽の噂を流布して人気を落とした ってのは聞いたことある
マスコミの余りの酷さにCharが公の場でブチギレたんだよね で見せしめにデマを流して干した これが内情です ドラッグ等は一切ありません 息子はよくやってますけどねw
間違ってたならばゴメンなさい、、タイコはリューベンなのでは、、?
そうですね。ファンの間では『F〇CK YOU』 MUS、『伝説MUS』と呼ばれている個体です♪使用し出した頃(闘牛士時代に初登場)はフル・オリジナルでしたが、想像するに 放り投げた為にペグとスライドSWが壊れ交換したのでは?と思われます。
リューベンのドラム方面に投げましたね。そのなま撮りの夜のヒットスタジオにはゴールドのレスポールシングルコイルで出演しました。ユーチューブでどれもこれも見れる時代なので、当時テレビで見ていたわたしらにとって思い残す事は無いです。
@@saikousikikan さん細かい事で申し訳ありませんが、夜ヒット初登場時のムスタングと⬆️に書いた“伝説ムス“(当動画で使用の)は別個体なんですよ。後の別番組収録時に盗難にあってます。この動画のは歴代使われてきたムスタングの中ではこの時点で5台目、白/赤鼈甲仕様だと3台目になります。二台目はザ·ベストテンのスポットライトに闘牛士で出演時、エンディングで床に叩きつけた個体。その後に入手されたのがこのムスタングになりますね。マニアックな解説を失礼致しました🙇
@@66MUS 様:そうなんですか!すっかり記憶がショートして自分最適化してました。ご教示ありがとうございます。 しかしチャーさんたらその当時、ずいぶん荒れ狂ってたんですね。レオフェンダーに怒られそうですね。だけど今は戸越の誇る聖人となりました。 そうそう、ところであの金のレスポコゾフもどきは銀座山野から急遽借りてきたという伝説が流布してましたが、実際のとこそれホントなんでしょうか?よそで使ってんの見たことないので…
@@saikousikikan さんいえいえ。ご本人さんも多分覚えてらっしゃらない事かと思います(笑)LP-DXの件ですが、入手はデビュー前でNSPのバックをされていた頃に既に使用されていた写真も残ってます。Smokyのバッキングでのカッティングに使った~とご本人がインタビューで語られたりもしますね。アイドル期では逆光線~闘牛士の時期もたまに使用~(シングル盤ジャケ写で抱えている)や第1回24時間TV での名演 Wondering Againでも使われたりしましたね。 後のJLC やPink cloud 期もライブやTV 出演時に使われていましたが80年代後半に、今現在も使われている68年製GTとトレードされた~と言った経緯に至ります。
けだるさ~!セクシー!!このひとーミチアフレテルそー
charは本当にクラプトン良くコピーしたんだな(笑)トニック、マイナー3rd、パーフェクト4thのこの音使い(リック)、マイナーにほんの少しメジャーの音を加えたこの音使い、ハンマリングとプリングを効果的に使う所、このソロの特徴を挙げてくと全部クラプトンだよ(笑)トニック、マイナー3rd、パーフェクト4thのこの音使いは、クリームの再結成ライブのホワイトルームでまったく同じリック使って弾いてたよ(笑)このソロコピーすると良く判るよ。
そうですね、レユニオンのホワイトルームやポリシャンですね。切りそうで切らない16分のトリルをフルピッキングでガチガチ弾かないとこがブラインドフェイスやデレクドミノスのころのクラプトンにも似てるような気がします。多少ジミヘンじみたような感じと言いましょうか?1969くらいのチャーが中学3年くらいのときによく指ならしに励んだのではないでしょうか。 だけどライブのジミほどエコノミーしてないのはオーバードライブがそんなに深くないのでフィードバックに任せきってない感じ。 むかしの大村さんや土屋さんのインプレッション文章のマネみたいで済みません。
1978年の晩夏〜秋のはずです。
当事かなりファンだったけどこの曲知らないなあ⁉
メンバーもいつものリューベンやダニー達じゃないしねえ。かといってチャーを頭ごなしにドヤせる怖い人らのミッキーもジョンも準もいないし。
じゃファンじゃないよ 俺ファンじゃないけどこのシングル買ったもん😊
髭はやしてもうアイドルじゃないね(笑)
ドラマの役柄で髭を生やしていたのよ。
1978(S53)のこのあとフットエフェクターのオーバードライブの銘柄が変ったようで随分と音が変ってしまったのを覚えてます。往年のフェンダーファズフェースのような感じでした。またミッキーのところの亡き浅野さんが引き続きチャーのそれまでの音色と似た音を出されておられたのでよく覚えてます。ゴダイゴのアルバム、アワディケイドのあたり。
私が持つチャーのイメージに一番近い作品がGIRLでした。同年代の原田真二さんの曲ではSWEETBABYが一番好き。
でも素晴らしい曲のわりには2曲とも以外と売れませんでした。不思議です。本当にかっこよかったです。懐かしいです。
当時~Char大好きでした🎸💖
レコード買いあさってました!!
Girl素敵です✨
懐かしい.....78年の秋 エレキギター購入の為に午前三時に起きて新聞配達をしていた時にこの曲を歌いながら自転車のペダルを漕いでいた13歳。DrはジョニーでBassはマーちゃんかな。
この曲、コピーに簡単そうに思うけど難しいんですよね〜😥
1978年の10月やったか❓
夜のヒットスタジオ出演時のギターソロが圧巻です😀
難しいのに簡単にギター弾くCharさん😚😁😄
未だにChar熱病から覚めません😀
ヒゲはやした時ですね。ドラマかなんかのためにすぐにやめちゃった髭。1978の秋にピアノのダニーさんが急にいなくなってチャーもぎんざナウに出なくなってしまって相棒の桂枝八師匠も見れなくなって私ら高校生はさみしかった。代わりのためかバウワウ恭司がジェットジャイブ聴かせてくれたけど、好みのせいでチャーの逆光線のほうが好きなので先にコピーしたせいか非常にむずかしかった。
切りそうで切らない8分音符と休符のトリルがなんだか1970のクラプトンのアルバムレイラの中で良く聴けるソロに似てるって今更ながら聴き入りました。同じころ、柳ジョージさんが雨に泣いてるでフェンダーシングルミックスのいい音を聴かせてくれましたが、チャーのほうがビヨーンって滑らかでいろっぽいような気がします。そのときテレビの前の18だった子供が、62の年寄りになる歳月を感じさせないグレートチャーの最高の演奏だとおもってます。
girl大好き!!!
これをリアルタイムで味わえる時代に生まれたかった、、、😭😭😭
ムスタングのンチャの音が良いし、懐かしいなあ😊
なんなく、なんでもうたいこなして、melodyの独創性ーピカイチ🌟🆙🆙
昔と変わらないスリム感ーイカシテル&うたいぶり、ラフでいて、あまりにも🆒🔝🔥
チャー様には黒歴史でも、私には青春
貴重な映像ありがとうございます😃
チャーではこの曲が一番!。
レアなアジャパーな動画をUPありがとう!。
私も一番好きです。charが自分の本音を歌っている様な歌詞。ギターものすごく上手いですよね!
最高にカッコいい歌詞と曲でチャーのなかでベストだと思う。
1955年6月16日生まれ 本名:竹中 尚人(たけなか ひさと)東京都品川区戸越出身 1974年 あおい輝彦 - 君がいても Guitar By Char , 1974年 Char参加音源 まりちゃんズ『尾崎家の祖母(おざきんちのばばあ)』、1975年 N.S.P. - ライブ 「僕らはごきげん」1976年6月、キャニオン・レコード / SEE SAWからシングル「NAVY BLUE」でソロ・デビュー、9月にアルバム『Char』を発表(代表曲『Smoky』収録)。1977年6月リリース「気絶するほど悩ましい」は、歌謡ロック路線となりアイドル系ギタリスト&ボーカリストとして人気を博す。1978年には「逆光線」「闘牛士」とヒットを飛ばし、同時期に登場した世良公則&ツイスト、原田真二と共に『ロック御三家』と呼ばれた。1978年7月に発表された自身3枚目のアルバム『Thrill』にてゴダイゴと共に楽曲の半分にて共演。リリース後に行われたゴダイゴとの共演LIVEで、男性のみが入場可能だった『男だけのコンサート』を行った。1978年秋発売の「BLUE CHRISTMAS」は東宝映画『ブルークリスマス』劇中歌となったが、6thシングルとしての日本語歌詞バージョンとは別にChar自身が歌う英語歌詞バージョン(こちらはBGM数曲を併せたサウンドトラックとして構成)も同時発売される異色の体制となった。作曲は同映画の音楽監督である佐藤勝。映画の中では英国人バンドが歌う曲として扱われている。その後のステージ・デビュー(芸術祭イベント)の模様はTV収録されたが、その放映前、自身に「ある事件(覚醒剤取締法違反)」の謂れのない嫌疑がかけられたため、活動休止を余儀なくされ、オンエアされることなく御蔵入りとなった。1976年 Char - Charレコ-ディングメンバー、*Guitar, Vocals - Char *Bass - George Mastich *Drums, Backing Vocals - Robert Bill *Keyboards - Jerry Margosian *Keyboards, Backing Vocals - 佐藤準、1977年 Char - Have A Wineレコ-ディングメンバー、*Guitar, Vocals - Char *Bass - George Nishizawa *Drums, Backing Vocals - Robert Bill *Keyboards, Backing Vocals - 佐藤準 この時期のTV出演、コンサートツアーメンバーにはDr.リューベン辻野(後にリューベン&カンパニー結成) Ba.ジョン山崎等が参加していた。
超かっこいい〜!(≧∇≦)
年代はすいません。分からないですがヤングオーオーですね。貴重な映像のU,感謝致します。ありがとうございます。当時、このCAPにやられたクチです。(笑)
年代は1978の暮あたりです。ヤングオーオーなつかしいです。でっかいカップヌードルスタンダードが天井から下がってましたね。わたしら北関東の子供には関西語がほとんど理解でけしまへんでした。とにかく速くて聞き取れない。
また、東京人のうちのおふくろの小言も、わたしら息子らは田舎もんなので全然聞き取れなかったのに似てます。
@@saikousikikan ご返信ありがとうございます😊
確かに今では関西弁が全国に轟き渡っていますが…笑笑💦当時は全然,関東のヒトには受け容れられていなかったですよね。私が東京都内のある、中小企業で働いた事があるんですが、そこの社長の奥様が東北の人で、私の言葉が西なのですが…「私、関西弁‼️大っ嫌いなの‼️💢」って虐められた事ありました。随分だなぁ…と悲しくなりましたが…💦😂そんな嫌悪感を出されている方も居たと思います。狭い日本ですが、やはり、言葉が違うと中々、融合出来なかったりするのが現実ですよね。古い話書いてすいませんでした。💦💦笑笑🙇♀️🙇♀️
@@jiroshockingpinkさまへ:
わたくしは大人になってから文字で理解しましたね。デキヒンとデケヘンの音便とか。あと、買って上げるよの「こうたるわー」とか、早く乗れ、の「はよのりのりい」とか。とにかく速いのでいまでもヒアリングはダメですねえ。
わたしら北方語の田舎もんはただニコニコだけしてれば大阪や京都の方がたくさんしゃべってくれるのでとても助かります。 商用のみならず技術・教育・思想すべてにわたって日本では関西語が勝ちですね。
むかし、父の会社では東京人の母が一人で全部電話をとってました。言語は技術ですね。
@@saikousikikan さまへ
ご丁寧にありがとうございます😊🙇♀️
確かに私は西の人間で、東京で生活した何年かが人生であるのですが、その何年かで初めて、東京よりも北の方々とお会いできたのですが、正直、東北弁は全然聞き取れませんです。ネイティブな青森の方同志の会話とか…マジ分かりません💦笑同じ感じなのでしょうね…。東北の方々や北海道の方々も私と話す時は標準語を使って下さるから会話できてたんだなぁ…と。😊国土は小さな日本ですが不思議です。本当に地球は凄いですね。お優しいご丁寧なお返事ありがとうございました。愚痴のような昔話書いてしまい、すみませんでした。笑笑🙇♀️🙇♀️👍コレからも宜しくお願い致します。😊😊🙇♀️👍
@@jiroshockingpink さま:いやあ、まったくですね。明治以後の標準語は助かります。もとが東京語なのはくやしいですけど。
我が国は島山国でリアス海岸まである国土なので、標準語がないとどうにもならないですね。100年ほっといたらウクライナとロシヤや、イングランドとスコットランドの言葉くらい違ってしまうらしいです。
1978年 秋頃 ですね。 jiroshockingpink さんが 仰られた通り young Oh! Oh! での映像です♪
& Godiego 以降の演奏ですね。
バックメンバーが 不明ですが、同時期 他所では藤井さん、南沢さんがバックを務められていた時期です。(でも、このDr.の方は藤井さんっぽく無い感じがしませんか?)
ムスタング
良い音を出してます。
近年は
あんまし聴けませんが…💧
「捕まる直前」とは???
あれは週刊誌の作り話で、作らせたのはゲーノー界のエライさんでしょ。初武道館でキレたのが原因らしいけれど、当日朝まで映画撮影の炎上シーンで煙にまみれて働かされてたら、そりゃ3年間溜まったストレスが暴発するわなぁ。
コメント有り難う御座います。78年09月10日のヤングオーオーでしたね。とにかく、メンバー不明なのがちょいと気になります。
初めて買ったギターは、ムスタングでした。もちろんcharさんの影響です。
永遠ギタリスト不滅です。
実家の整理してたらこの曲のシングルでてきました
ベースはマーちゃんじゃないですね、ピック弾きではなく指で弾いています。
最高!
ファッションが今風。
ギターに貼ってあるのはF@CKと書かれたダイモかなw
CHARの日比谷(ジョニー・ルイス&)のデビューの細かいレビューで書いてますが・・
麻薬等は一切やってません。この、ありもない記事が、よりチャーの人気を落としていたと
思います。
事実か否かは知らんけど、当時多忙の極みだったCharはマスコミの目に余る取材にブチギレしたらしい で、こらしめてやれって事で虚偽の噂を流布して人気を落とした ってのは聞いたことある
マスコミの余りの酷さにCharが公の場でブチギレたんだよね で見せしめにデマを流して干した これが内情です ドラッグ等は一切ありません 息子はよくやってますけどねw
間違ってたならばゴメンなさい、、
タイコはリューベンなのでは、、?
そうですね。ファンの間では『F〇CK YOU』 MUS、『伝説MUS』と呼ばれている個体です♪
使用し出した頃(闘牛士時代に初登場)はフル・オリジナルでしたが、想像するに 放り投げた為にペグとスライドSWが壊れ交換したのでは?と思われます。
リューベンのドラム方面に投げましたね。そのなま撮りの夜のヒットスタジオにはゴールドのレスポールシングルコイルで出演しました。ユーチューブでどれもこれも見れる時代なので、当時テレビで見ていたわたしらにとって思い残す事は無いです。
@@saikousikikan さん
細かい事で申し訳ありませんが、夜ヒット初登場時のムスタングと⬆️に書いた“伝説ムス“(当動画で使用の)は別個体なんですよ。後の別番組収録時に盗難にあってます。この動画のは歴代使われてきたムスタングの中ではこの時点で5台目、白/赤鼈甲仕様だと3台目になります。二台目はザ·ベストテンのスポットライトに闘牛士で出演時、エンディングで床に叩きつけた個体。その後に入手されたのがこのムスタングになりますね。マニアックな解説を失礼致しました🙇
@@66MUS 様:そうなんですか!すっかり記憶がショートして自分最適化してました。ご教示ありがとうございます。
しかしチャーさんたらその当時、ずいぶん荒れ狂ってたんですね。レオフェンダーに怒られそうですね。だけど今は戸越の誇る聖人となりました。
そうそう、ところであの金のレスポコゾフもどきは銀座山野から急遽借りてきたという伝説が流布してましたが、実際のとこそれホントなんでしょうか?よそで使ってんの見たことないので…
@@saikousikikan さん
いえいえ。ご本人さんも多分覚えてらっしゃらない事かと思います(笑)
LP-DXの件ですが、入手はデビュー前でNSPのバックをされていた頃に既に使用されていた写真も残ってます。Smokyのバッキングでのカッティングに使った~とご本人がインタビューで語られたりもしますね。アイドル期では逆光線~闘牛士の時期もたまに使用~(シングル盤ジャケ写で抱えている)や第1回24時間TV での名演 Wondering Againでも使われたりしましたね。 後のJLC やPink cloud 期もライブやTV 出演時に使われていましたが80年代後半に、今現在も使われている68年製GTとトレードされた~と言った経緯に至ります。
けだるさ~!セクシー!!このひとーミチアフレテルそー
charは本当にクラプトン良くコピーしたんだな(笑)トニック、マイナー3rd、パーフェクト4thのこの音使い(リック)、マイナーにほんの少しメジャーの音を加えたこの音使い、ハンマリングとプリングを効果的に使う所、このソロの特徴を挙げてくと全部クラプトンだよ(笑)トニック、マイナー3rd、パーフェクト4thのこの音使いは、クリームの再結成ライブのホワイトルームでまったく同じリック使って弾いてたよ(笑)このソロコピーすると良く判るよ。
そうですね、レユニオンのホワイトルームやポリシャンですね。切りそうで切らない16分のトリルをフルピッキングでガチガチ弾かないとこがブラインドフェイスやデレクドミノスのころのクラプトンにも似てるような気がします。多少ジミヘンじみたような感じと言いましょうか?1969くらいのチャーが中学3年くらいのときによく指ならしに励んだのではないでしょうか。
だけどライブのジミほどエコノミーしてないのはオーバードライブがそんなに深くないのでフィードバックに任せきってない感じ。
むかしの大村さんや土屋さんのインプレッション文章のマネみたいで済みません。
1978年の晩夏〜秋のはずです。
当事かなりファンだったけどこの曲知らないなあ⁉
メンバーもいつものリューベンやダニー達じゃないしねえ。かといってチャーを頭ごなしにドヤせる怖い人らのミッキーもジョンも準もいないし。
じゃファンじゃないよ 俺ファンじゃないけどこのシングル買ったもん😊
髭はやしてもうアイドルじゃないね(笑)
ドラマの役柄で髭を生やしていたのよ。
ムスタング
良い音を出してます。
近年は
あんまし聴けませんが…💧
1978(S53)のこのあとフットエフェクターのオーバードライブの銘柄が変ったようで随分と音が変ってしまったのを覚えてます。往年のフェンダーファズフェースのような感じでした。またミッキーのところの亡き浅野さんが引き続きチャーのそれまでの音色と似た音を出されておられたのでよく覚えてます。ゴダイゴのアルバム、アワディケイドのあたり。